この人この時代

第10話 ソフトボール 辻一三さん他の群像

「九州一のソフトボール場をつくろうじゃないか」
 昭和48年、ソフトボール協会長でもあった辻一三市長が、陳情した初代理事長の木戸純一郎さんに確約しました。
 戦後から一貫してソフトボールが盛んな佐世保市で、会場不足が悩みのタネだった関係者にとって、この一言は大きな喜びでした。
 こうして翌49年、軟式野球にも適用できるほどの照明設備を持つ名切中央公園ソフトボール場が開場。勤めを終えたサラリーマンや、商店の愛好者たちが仕事のあと、光り輝く芝生のソフトボール場で、歓声を上げながらゲームに熱中する姿が見られました。

祝賀会で乾杯する辻会長
祝賀会で乾杯する辻会長(昭和51年3月、SSK保健会館)


スローピッチソフトボールは佐世保で始まりました。少年ソフトボールも佐世保が発祥の地。
 この誇らしい事実はあまり知られていません。大阪ソフトボール協会の小池晶之理事長が、昭和五十五年七月発行のソフトボールダイジェスト紙「SIGN」に「スローピッチルール発祥地佐世保を訪れ、見学してきた印象を述べてみよう。佐世保はまさにソフトボールにふさわしい市であり、市民こぞってソフトボールを愛している。社会的にも高い評価を受け、早朝ソフトボールに百四十四チーム、ナイターソフトボールに百七十八チーム」と手放しで称賛しています。
 佐世保でのソフトボール開始は、占領当時の昭和22年ごろ。占領軍の教育官だったニブロという人が、県内一円を回って熱心にソフトボールを指導しました。
 佐世保出身で商業高校、大分経専卒の木戸さんは、昭和24年から佐世保商業高校で教職をつとめ、25年に女子の入学が増えて1クラス50人になったので、初めてソフトボール部をつくりました。

体育文化館の位置にあった佐世保野球場
体育文化館の位置にあった佐世保野球場

 それ以前、まだ大分経専2年だった昭和21年、知人と米軍キャンプを訪れたとき、一まわりと大きなボールとバットを目にしました。「これは何だろう」と疑問に思ったことが、後年米海軍佐世保基地を訪れたとき解けました。このボールこそ、アメリカで始まり、基地の米兵も楽しくプレーしていたスローピッチソフトボールだったのです。
 アメリカでは、野球ができない雨天のとき、バッティング練習に大きなソフトボールを使っていました。これがいつの間にか「インドアベースボール」となり、気軽に楽しむソフトボール・ベースボールとなったのです。
 木戸さんは、さっそく米海軍佐世保基地スペシャルサービスに勤務していた大槻通訳官と共にルールブックを翻訳し、佐世保商業女子部などで始めました。このほか、旧制の県立第二高等女学校(大黒住宅付近に立地)で、武富龍二先生が教え、引き続き発足した北高校でも指導していました。
 何でも不足していた敗戦後の焼跡の中、山川喜一さん(北高)、名和顕貞さん、口石猛さん、針浦義達さんといった人たちが、ルールを教え、用具を自分で持ち運び、北高グラウンド他の試合場を探し、NHKに頼んでメンバーを募集するなど、苦心に苦心を重ねて普及につとめました。


地元の時事新聞が後援
 昭和28年、佐世保体育協会ソフトボール部が発足。このころから一般男子のチームも結成されました。SSK設計部、電話局、西九州倉庫、米軍内BOQ、モータープールといった職域チームで、地元新聞の佐世保時事新聞がカップを寄贈するなど後援に力を入れ、いっそうプレー人口増に拍車がかかりました。
 西九州倉庫社長、そしてカップを寄贈した時事新聞社長も辻一三さん。本人は佐世保中学でその名を知られた柔道部の闘将。その他スポーツは何でも好きとあって格別の理解を示されたのです。

普及の推進役・審判員の皆さん
普及の推進役・審判員の皆さん(昭和52年ごろ、名切グランド)


 平成元年9月6日、辻一三氏が亡くなられた後、新しく辻一三杯ソフトボール総合選手権大会(佐世保市ソフトボール協会、長崎新聞社など主催)が設けられ、今年第12回を迎えました。
 現在のソフトボール協会理事長の松永茂さんは「昭和52年に西ドイツスポーツユーゲントが佐世保を訪問、地元チームとの親善試合で、辻市長が会長として始球式をされた姿が忘れられません」と話されました。


少年ソフトボール全盛へ
 こうして、全国に先がけて始まったソフトボールは、日体大・下奥信也投手が創始した驚異のスピードボール投法ウィンドミルが登場したとき、いち早くこれをマスターしたのがSSK設計部の小森健一投手でした。
 昭和45、6年、湊監督のもとで日本一となったチームのエースとして独自に工夫を重ねて、強豪チームの中軸打者を小気味よく三振に仕止めました。小森投手は最初「彼も日体大か」と見られるほど習熟し、専門誌に分解写真が掲載されて話題を集めました。
 一方で、佐世保ソフトボール協会設立の翌昭和32年、設立記念少年ソフトボール大会が開催されました。光月町の市営球場を会場に、市内公民館単位の24 チームが出場、真夏の炎天をものともせず白球を追いました。この伝統ある大会は、今も夏休みの少年スポーツのメインイベントとして、いっそう盛んになっています。


今に生きる伝統が花開く
 ことし8月、滋賀県守山市で開かれた全日本小学生ソフトボール大会で、佐世保市のOHフレンズ(大崎、日野混合男子チーム)が横須賀を1―0で敗り、2年ぶりニ度目の優勝を果たしました。

 昨年は同じ佐世保のOKクラブ(大野、春日混合チーム)でしたから、佐世保勢の三連覇という快挙です。
 同じ8月9日、鹿児島で開催された九州中学校体育大会で、崎辺中学女子チームがソフトボール種目で優勝。7月23日諫早市で開かれた全九州高校体育大会で、ソフトボール男子に出場した佐世保西高チームが準優勝しました。
 ことし3月には、当時日野小6年の林佑季さん(現在日野中1年)が全日本女子チームの一員に選ばれるなど、新しいヒーロー・ヒロインが続々と誕生しています。

木戸さん(左)と松永理事長
ソフトボール発祥の頃を語る木戸さん(左)と松永理事長


posted at 16:44:00 on 2005-01-31 by SSF - Category: この人この時代
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