この人この時代

第13話 戦後テニス普及の推進力 坂田重保さん (親和銀行頭取)

カップを手に岡選手と記念写真におさまった坂田さん(右)
カップを手に岡選手と記念写真におさまった坂田さん(右)

テニスコート生みの親
 佐世保市テニス協会の現会長である岡誠さん(69)は、九大を卒業した昭和30年、テニスが縁で親和銀行に入行しました。学生プレーヤーとして輝かしい実績を持つ岡さんを、正規の採用ワク外で、あえて入行させたのが当時の専務取締役、坂田重保さんでした。
 戦後の復興期、いわばテニスを銀行発展の中心に据える“行技”にしようと考えた坂田さんは、昭和28年から九州大学をはじめ名だたる学生プレーヤーを積極的に採用して、行員のテニス熱を高めようとしたのです。

 佐世保市内には、昭和24年3月、浜田町しんわこどもガーデンにテニスコート2面をつくり、坂田さんが中心になって「佐世保ローンテニスクラブ」を発足させました。昭和初年に始まった雲仙国際トーナメントに続く県内二番めのトーナメント「第1回時事新聞杯テニストーナメント」が開催されたのもこのコートで、昭和26年のことでした。いらい坂田さんは、雲仙にあった由緒ある県営コート4面が、バス駐車場として無くなっていたのを親和コートとして復原整備し、テニス愛好者の要望に応えました。このほか長崎支店など各地に30面ほどのコートを設けました。
 同時に、現在の天皇陛下が皇太子として美智子妃殿下と結婚された昭和34年には「皇太子殿下ご成婚記念大会」を盛大に催すなど、普及のための大会を各地で開催したのです。


キャリア永い愛好者

  明治三十一年(一八九八)六月四日、佐賀県諸富町に生まれた坂田さんは、大正十年にシンガポールのアングロ・チャイニーズスクール商学部を卒業、当時めざましい躍進を遂げていた神戸・鈴木商店に入社しました。テニスに親しんだのはこのころからで、後年八十歳を迎えた傘寿(さんじゅ)祝賀テニス大会では元気いっぱいラケットを握り、若い行員を相手に若々しいプレーぶりを披露、永いキャリアの愛好者であることを印象づけました。
 浜田町コートで始まった時事杯トーナメントは、その後佐世保ローンテニスクラブ主催、現在は県テニス協会主催となり、九州テニス協会公認の、県下最高レベルの大会へと発展します。浜田コートは昭和三十年アンツーカーになり、広く市民のプレーヤーに開放されました。
 戦後の長崎県テニス界は、坂田さんと波佐見の銘酒「六十餘洲」で知られる今里酒造の今里久香さん、長崎地検検事正、小坂良輔さんの三人に負うところが大きかったのです。

 長崎国体開催への機運が高まっていた昭和三十七年、テニス競技の推進母体となる県庭球協会が設立、今里会長、坂田名誉会長のコンビで四十四年の長崎国体を目指すことになりました。
 坂田さんは、それまでの男子選手採用に続いて地元高校の有望な女子選手採用につとめ、テニスの国体選手は親和銀行が中心となって結成されました。川下町の国体会場である総合グラウンドには、十二面のコートができ、国体を契機に市民プレーヤーが飛躍的に増加して市民テニス教室も開かれ、これから 同好会「あすなろ会」が誕生しました。

 こうした情勢を背景に、坂田さんが親和テニス部を通じて呼びかけ、昭和五十八年佐世保市テニス協会が設立され、坂田さんが会長に、岡誠さんが理事長に就任、五十団体千人を越える組織を率いることになったのです。



文部大臣からの功労賞

 テニスを通じての社会貢献――。坂田重保さんの終生かわらなかった信念は、現在から見ても新鮮で、きわめて理にかなったものでした。同時に、親和銀行の親しみやすくはつらつとしたイメージ確立にも大きく役立ち、ひいては佐世保市のスポーツマインド普及にも寄与したのです。

 昭和五十二年、坂田さんは社会体育功労者に選ばれ、晴れて文部大臣表彰の栄誉に輝きました。さらに昭和五十八年には、日本テニス協会創立六十周年記念式典の席上、功労賞を贈られました。
 この晴れやかな栄典の年、坂田さんは体調を崩しますが、点滴をつけたまま第一線の行員を督励するなど、仕事にかける熱意もまた、驚異的なものがあったと、当時本店審査部長だった岡会長は回想されています。



 昭和五十九年一月六日、坂田重保さん永眠。享年八十六歳。 しめやかな内にも盛大だった葬儀に参列した中牟田喜一郎・九州テニス協会長は「あなたが愛されたテニスは年を追って盛んになり、親和銀行テニス部も強くたくましく前進するでしょう。また、あなたのモットーである”ウソをつくな、弱いものをいじめるな、負けるな“の言葉は、親和銀行マンの心の中に強く焼きついているでしょう」と心からなる弔意を表されました。
 県内初のテニストーナメントとして始まった時事新聞杯は、佐世保トーナメントとなって、平成十四年のことし、第五十回大会を迎えました。




坂田さんの思い出を語る岡会長
坂田さんの思い出を語る岡会長
■坂田重保さんプロフィール 
明治31年(1898)佐賀県・諸富町生まれ。シンガポール・アングロチャイニーズスクール卒。神戸の鈴木商店を経て大正12年(1923)10月、親和銀行の前身・佐世保商業銀行入行。昭和35年(1960)4月頭取。昭和59年1月6日死去。86歳。佐世保市名誉市民。
posted at 17:12:00 on 2005-01-31 by SSF - Category: この人この時代
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