この人この時代

第14話  気は優しくて力持ち 柔道八段 喜多 保さん

風格の中にも優しさが。中央が喜多保さん。左が植木さん
風格の中にも優しさが。中央が喜多保さん。左が植木さん

“材木店の保っちゃん”
 佐世保柔道協会の植木浩・副会長(67)は、敬愛と親しみを込めて、昔の仲間がそう呼んでいた……と話されました。もともとは奥さんの喜多良子さんが、いつも「うちの保っちゃん」と呼んでいたのが、いつの間にか仲間うちの呼び方になったのです。
 戦後の柔道復活に力を尽くし、後進を育て、交流試合を活発に行なった喜多八段の業績は、名切中央公園にできた県立武道館実現をはじめとして、今なお多くの遺産として国技柔道の普及発展に役立っています。


戦後間もなく道場を開場した硬骨漢
  城下町平戸で大正12年(1923)2月6日に生まれた喜多保さんは、名門猶興館中学に学び、必須だった柔道で名を挙げ、教職で身を立てようと日本体育専門学校高等師範科に進みました。
 帰郷して佐世保中学校の教師となりましたが、昭和16年に始まった太平洋戦争が激化し、熱血漢の喜多さんは志願して航空兵となって満州(今の中国東北地方)などを転戦しました。 昭和20年、飛行中尉で敗戦を迎え、復員後、佐世保で材木店を営んでいた叔父を手伝い、4年後の昭和25年に独立して有限会社・きた材木店を設立、社長として事業の面からも市の復興に力を尽くしました。

在りし日のおしどり夫婦ぶり
在りし日のおしどり夫婦ぶり


 当時、まだ日本は連合国軍の占領下にあり、軍国主義の徹底した排除をはかった占領軍は、柔道や剣道などの武道を一切禁止しました。その中で、喜多さんは「青少年の健全育成に役立つ」との信念で、昭和23年、ヤミ市で活気のあった戸尾市場街の一角に道場を開設したのです。商売ものの木材を持ち出し、旧戸尾高等尋常小学校の入口を借りて、50畳の柔道場をこしらえたのです。植木副会長も、この道場で初めて喜多さんの教えを受けたのですが、「どんなにムキになって向かって行っても、軽く右に左に投げ飛ばされた」と話されました。
 厳しい指導が終わると、途端に柔和な笑顔になって口調も優しくなり、懇切な解説と指導になったということです。青少年の健全育成に役立ち、地域振興にも不可欠との信念で、桃から生まれた桃太郎の童謡そのままに「気は優しく力持ち」ぶりを発揮し、子供たちからも慕われました。

独自の筆勢による「精力善用」の揮毫
独自の筆勢による「精力善用」の揮毫




アメリカ人の海軍葬も
 基地の町なので、米軍兵士の間にも柔道熱は盛んで、第一上陸場横に道場もありました。海軍将兵で、退役した、L・A・ターネさんは講道館で学んだ本格派。喜多さんも親しく手を取って教えました。稽古のあとは仲よくビールを楽しむなど、個人的にも友情を深めました。
 そのターネさんは「海に散骨する海軍葬にして欲しい」との遺言をして亡くなりました。米軍はできないといい、喜多さんは「それなら私が」と、柔道協会やブルーライオンズの仲間と共に、谷郷町の九品寺で供養のあと、ターネさんの遺骨の一部を佐世保港外の洋上に散骨しました。「彼はアメリカのサムライだ」と喜多さんは合掌されました。

 軍服姿もりりしい喜多飛行中尉
軍服姿もりりしい喜多飛行中尉

大ジョッキ軽く4・5杯
 「さあ飲みに行こうか」。激しい稽古のあと、喜多さんはみんなによく声をかけました。大のビール党で、戸尾道場近くにあった赤ちょうちんは、柔道協会の行きつけ。「たっぷり1リットルは入る大ジョッキはアッという間に干しあげ、4,5杯はあたり前の豪快な飲みっぷりでした」と植木副会長。
 しかし、日常は質素を旨とし、仲間にも何かにつけ「無駄遣いはしないように」と話していました。会社の経理も常にきちんとしていなければ気がすまず、率先して協会の事務面にも目配りを欠かしませんでした。
 一面では多彩な趣味人で、いつの間にか自宅に謡曲や仕舞い稽古用の部屋をつくり、精神修養の意味もあって書もたしなみました。「身体に似合わず繊細な筆づかい」と植木副会長が言われるとおり、県立武道館にある「精力善用自他共栄」の書も流れるような筆跡です。
 平成元年6月、晴れて八段を講道館から授けられました。その昇段祝賀の宴に、当の喜多さんは姿を見せませんでした。
 このころから体調不良を訴え、回復せぬまま平成6年6月25日、72歳を一期として永眠されました。



「すばらしい指導者だった」と語る植木会長
「すばらしい指導者だった」と語る植木会長
■喜多 保さんプロフィール 
大正12年2月6日平戸生まれ。日本体育専門学校高等師範科卒。佐世保中学校教師。太平洋戦争中航空兵となり中尉で敗戦。きた材木店創業のかたわら、辻一三・元市長らと柔道協会設立。理事、青年部長、理事長、会長、県協会副会長を歴任。佐世保高専、警察、海上自衛隊で師範をつとめる。勲六等単光旭日章、講道館創立100周年記念功労賞など表彰多数。没後「喜多保杯」創設。
posted at 17:21:00 on 2005-01-31 by SSF - Category: この人この時代
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